東京地方裁判所 昭和52年(ワ)10526号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
【説明】
東京区検察庁副検事高橋忠三は、昭和五一年一二月二三日、東京簡易裁判所に対し、原告を被告人として公訴を提起したが原告に対する公訴事実は次のとおりである。
「被告人は、昭和五一年七月一九日午後四時四〇分ころ、公安委員会が道路標識等により、転回を禁止している東京都文京区後楽一丁目九番先道路において、普通乗用自動車を運転して、転回して進行したものである。」
右事件につき、東京簡易裁判所は、昭和五二年七月一八日、原告に無罪の判決を言渡し、検察官の控訴提起がなく確定した。
【判旨】
二原告は本件起訴及びこれに基づく公訴追行が違法である旨主張するので、この点につき判断する。
1 検察官の公訴の提起は、当該公訴事実につき無罪判決が確定したからといつて、直ちに違法となるものではなく、検察官が当該事案の内容に照らし当然なすべき捜査を怠り、又は収集した証拠の評価を誤るなどし、これがため有罪判決を期待しうるとの検察官の起訴時における判断が、経験則や論理則上到底首肯し得ない程度に合理的根拠を欠いている場合に初めてこれが違法となると解すべきであり、このことは検察官の公訴追行についても同様である。
2 そこで、右の観点から、担当検察官らの本件起訴の判断及び公訴の追行が合理的根拠を有するものかどうかについて検討する。
(一) まず、本件起訴の際に、起訴検察官が有した主要な証拠関係についてみるに、<証拠>によれば、起訴検察官が有した主要な証拠としては、検察官、検察事務官並びに司法巡査作成の写真撮影報告書二通、司法巡査作成の交通事件原票並びに道路交通法違反現認・認知報告書一通、原告の検察官、警察官調書各一通、自動車検査証一通、司法巡査作成の道路交通法違反現場見取図一通、現認警察官吉野茂、同遠藤忠、同金子信暁の検察官調書一通、司法巡査作成の道路交通法違反被疑事件の実地調査に関する報告書一通、黒沢てる子の検察官調書一通、現認警察官真鍋英敏、同吉野茂及び同金子信暁各作成にかかる捜査報告書各一通、原告の自動車運転免許証一通が当時存在していたこと、このうち黒沢の検察官調書には、黒沢が、「原告と黒沢とは一〇年余りの知り合いで、本件当日、あずき色のような原告車の助手席に乗り、帝国ホテルから黒沢の自宅のある市ケ谷の方向に進行した。途中、原告の家の墓参りをするため、お茶の水付近の寺に立寄つたが、その際、寺に入る路地の前の広い道のパーキングメーターに駐車した。墓参後再び原告車に乗り、二回位右折か左折をして黒沢の自宅の方向へ進行したが、どの道を通つたかはよくわからない。原告車が警察官から停止させられる前に、反対方向から進行して転回したかどうかについては、していないように思うが、はつきりとしていないと断言することまではできない。後楽園スタジアムは右にみたような気がする。」旨の供述をしたとの記載があり、原告の検察官調書には、原告が、「あずき色の新車である原告車に黒沢を乗せて本郷にある興安寺に墓参りした後、黒沢を同女の自宅近くまで送るため、東洋女子短大のところを右折し、順天堂大学の角を更に右折し、外堀通りを後楽園方面から水道橋方面へ左側から二車線目を直進していたが、飯田橋交差点で信号が変わつたので停止したところ、警察官が原告のところへ来て『あんた、いま、ここを曲つたでしよう。』と言つたので原告は『曲る訳はない。』と答えたところ、その警察官は向うの交番にいる警察官に『おーい、この車だな、曲つたのは。』と呼んでいたが、そのうちの一人がうなずいていた。本件当時は雨で、どの車線も混雑していたので、他車と原告車を警察官が混同したものと思う。」旨の供述をしたとの記載があり、原告の警察官調書にもほぼ同旨の記載があるが、一方、吉野の検察官調書には、吉野が、「本件当日、後楽派出所で立番警戒勤務中、原告車を初めに発見したのは、同車が別紙図面<省略>A点のところである。当時は交通量が少なく、他車は白つぽく、原告車があずき色であつて、車に興味のある吉野が初めて見る新型車なので特に注目していた。ナンバーは末尾が「一六」である。原告車は右に進路を変え四車線上に入り、その先の中央分離帯の切れ目を右に転回して対向車線に入つた。遠藤巡査もこれを現認し、原告車のところへ行つたので吉野もこれに続いた。原告車は飯田橋交差点の信号待ちで別紙図面D点に停止した。吉野が原告に免許証の提示を求め、本件違反を問うたところ、原告は『何のことですか』『私は転回してない。まつすぐ来た。お茶の水のお寺へ墓参りに行つてその帰りです。』と答えたので、後楽派出所に同行して更に聞くと、『私を取締つて、前車を何故取締らないのか。その車の後について行つた。』と言つたため、それでは転回を認めるのかと聞くと『いや違う。白い貨物が転回した後、まつすぐ来てついて行つた。』と弁解した。しかしそのような貨物車はなく、その旨を指摘すると原告は沈黙した。同乗者に尋ねると、原告の表情をうかがつたうえ、まつすぐ来た旨答えた。遠藤巡査のほか金子、真鍋両巡査、町田巡査部長も本件違反を現認している。」旨の供述をしたとの記載があるほか、遠藤の検察官調書には、遠藤が、「後楽派出所の中で誰かが『あの車転回するんじやないか。』と叫んだので、遠藤が初めて別紙図面C点にある右ウインカーを出したあずき色の原告車を認めた。その際、職安前交差点の飯田橋方面から水道橋方面への信号は青色であつた。当時、小雨が降つていたが、後楽派出所からの見通しは良好で、遠藤の視力は1.2である。他に転回車はなく、原告車の転回終了後飯田橋交差点の対面信号が赤となつた際、真鍋巡査と思うが『遠藤行つてこい』と言つたので、別紙図面D点に停止中の原告車のところへ駆け出した。後方から進行してきた車もなく、原告車が停止するまで見ていたので他車と見間違うことはない。」旨を供述したとの記載があり、更に金子の検察官調書には、金子が、「金子は、原告車の転回を目撃したとき、後楽派出所内の机に向かい椅子に坐つていたが、そこから後楽園交差点までよく見える。目撃当時、吉野、遠藤両巡査及びパトカー乗務員町田巡査部長、真鍋巡査が同派出所にいた。派出所寄りの外回りは当時車量が少なく、飯田橋交差点の信号が青となつて数台の車が後楽派出所前へ進行してきたとき、あずき色の日産グロリアかセドリツクのナツプス新型車が進行してきた。金子は特にナツプス車に興味を持つているので注目した。この車は外回り二車線目を進行し、飯田橋公共職業安定所と後楽派出所の間にある路地の延長線上付近で右に進路変更し、四車線上に入つたうえ、職安前交差点の赤信号で停止し右折のウインカーを出した。同交差点で右にハンドルを切つたので、金子は、『あの車転回するんじやないか。』と叫んだ。そこで真鍋巡査が遠藤巡査に『行け』と命じた。目撃車のナンバーは「一」と「六」が末尾の方にあつて、小回りに転回し、神田川寄りの内回り三車線上に入つた。目撃車は右転回完了後、飯田橋交差点が赤信号のため別紙図面D点に停止した。遠藤巡査が右車を内回り歩道寄りに誘導すると吉野巡査がその方へ駆け出した。目撃車の転回開始から停止まで後楽派出所からの視界を遮断するものはない。また当時、他車は白つぽく、あずき色に近い系統の色の車はなかつた。」旨供述したとの記載があることが認められる。また、前掲起訴前の証拠関係の捜査日時についてみるに、前掲証拠によれば、本件が検察官に送致された昭和五一年九月一日以前には、本件違反当日に原告に対する事情聴取がなされ交通事件原票が作成されたほか、本件現場の実況見分が実施され、吉野巡査は右結果に基づき翌日道路交通法違反現場見取図及び捜査報告書を作成し、更に、同年八月二五日、警視庁交通処理課において司法警察員木村誠一により原告が取調べを受け、同人の供述調書が作成されたこと、検察官送致後には、まず同年九月八日吉野巡査が東京区検察庁において起訴検察官により取調べを受けたほか、同様にして同月二八日には黒沢が、一一月一一日には金子巡査が、同月一七日には原告が、同月二五日には遠藤巡査が順次取調べを受け、この間同年一〇月一六日には金子巡査より本件違反についての捜査報告書の作成、提出がなされ、翌一一月一七日には起訴検察官により原告車の写真撮影がなされ、同日中に原告車の自動車検査証謄本及び原告の運転免許証の写しが各作成され、更に一二月一二日には石川利巡査により本件現場付近の写真撮影がなされたうえ、同月一四日には同人により前記のとおり原告主張コースの実地調査がなされ、本件起訴前日の同月二二日には真鍋巡査より本件違反の現認状況についての報告書の作成、提出がなされていることが認められる。
(二) そこで、起訴検察官のした捜査が本件において職務上要求される捜査を尽くしていたかどうか、また、右捜査により収集した証拠の評価を誤つたことが経験則、論理則上合理性を有しないものかどうかについて判断する。
前記認定事実のとおり、検察官送致以前には原告車の本件違反を基礎づける積極証拠として吉野巡査作成にかかる道路交通法違反現場見取図及び捜査報告書が、消極証拠として原告の司法警察員に対する供述調書が各存在し、起訴検察官はこれを受けてまず吉野巡査を、ついで黒沢を取調べたが、右黒沢の供述が曖昧であつたため現認警察官のうち金子巡査をして現認状況等の捜査報告書を作成せしめ、更に自ら同人及びその後同じく現認したという遠藤巡査を取調べ各供述調書を作成し、また原告を取調べた際には原告車の特徴を確認するためその撮影をするほか、原告の運転免許証及び原告車の自動車検査証についても取調べ、なお現認警察官の供述の信憑性について、後楽派出所から本件違反現場付近の見通し状況等に関して写真でこれを確認し、原告の供述の真偽を確認するため石川利巡査をして原告の主張コースにつき実地調査をなさしめ、その結果右原告主張のコースは興安寺から黒沢宅へ行く一般的進路とはいえない旨の報告を受け、更に、本件起訴直前には、念のために本件違反を目撃した真鍋巡査に対しても目撃状況につき報告書を提出させるなど慎重な捜査を行つている。
そして、本件違反行為が道路交通法一二〇条一項四号、二五条の二第二項に該当し、三万円以下の罰金に処せられるにとどまる比較的軽微なものであることを合わせ考えると、本件起訴について起訴検察官がなした現認警察官の現認状況、原告主張コース等の捜査は検察官として職務上要求される程度の捜査を尽くしたものというべきである。
また、右捜査により収集された証拠の評価を起訴検察官が合理的になしたものかどうかについて検討するに、本件は多数の目撃者の存する事案であるところ、その目撃者たる警察官らはすべて原告の違反行為を肯定し、その供述はいずれも極めて具体的かつ詳細であり、その信憑性が現認状況及び後楽派出所からの本件現場の見通し状況等からも確認され、他方黒沢の供述は曖昧であるうえ、原告とは一〇年余りの知人であること、石川巡査の報告書により原告主張コースには疑問が残ること、更には、前出<証拠>により認められる原告が過去二回にわたり運転免許停止処分を受けていること、他に原告の弁明を証明する何らの資料もないことなどを勘案すれば、起訴検察官において、原告が本件違反行為を否認しても有罪判決を期待しうると判断することは、経験則、論理則に照らし到底首肯し得ない程度に合理性を欠くものとはいえない。
(三) 次に、立会検察官による公訴の追行が証拠の評価を誤まり合理的根拠を欠いたものかどうかについて判断する。
<証拠>によれば、本件公判において前示の起訴時の証拠関係のほか新たに取調べられたもののうち主要なものは証人吉野茂、同金子信暁、同遠藤忠、同石川利及び同黒沢てる子の各証人尋問並びに被告人質問であることが認められるところ、<証拠>によれば、原告は詳細に自己が直進し転回したものでないことを供述し、黒沢証言は、検察官調書とは異なり、進行方向左側に堀がありその向うに電車が走つていて、右側に後楽園の黄色の建物を見た気がすること、警察官から原告車が制止される直前にUターンしていないこと、右制止した警察官が、「おーい、この車に間違いないんだな。」などと後楽派出所に向けて叫んでいたのを聞いたことなど原告が直進したことを裏付けるべき明確な証言をしていることが認められる。しかし、他方<証拠>により吉野が、遠藤及び金子の各証言内容と同人らの前記各検察官調書の記載内容とを対比するに、吉野証言は弁護人の反対尋問に対して一部黙して答えていない点のほか目撃車のナンバーについては供述されていない点はあるものの、全体として検察官調書と大差なく、原告車の特徴を極めて目立つあずき色の車として注目し、同車が後方右側ウインカーを点滅して転回したなどのその走行を終始注視していた旨証言し、また、本件起訴後の昭和五二年四月一三日、吉野自ら興安寺の住職に本件違反当日原告が墓参に赴いたかどうかを確認し、これを否定する回答を得たとの証言部分が付加されていること、遠藤証言においては、同人の本件現場の発言の内容などについて若干前後食い違う証言が見られるほか、同人の検察官調書と異なるところは、同人が原告車を目撃したのは別紙図面C点より少し手前の地点であること、飯田橋交差点の信号を見るため一時別紙図面C点からD点の間で違反車から目を離したことが明確にされたことくらいで他は大差なく、金子証言については、一部黙して答えない部分や記憶を失つている部分があるほか、原告が別紙図面B点で停止したかどうか、同車が右折の合図をしたかどうかで前後食い違う証言が見られ、結局この点において検察官調書と異なる証言が見られ、また、原告車の走行中別紙図面A点よりC点の少し手前及び転回中から別紙図面D点まで目を離したこと、同車のナンバーについては何も供述がないことなどが検察官調書の記載内容と異なるものの他はほぼ同様であり、原告車の転回を強く肯定していることが認められる。また、<証拠>によれば、さきに原告主張のコースにつき実地調査をなした石川利巡査は、証人として原告主張のコースでは興安寺より外堀通に出るまでに可成り交通の渋滞する地帯を通らねばならない旨証言していることが認められる。
右に見てきたとおり、原告及び黒沢らは、原告車が転回したものでないことについて公判廷においていつそう明確な供述をしているのに反し、本件違反を現認した吉野、金子及び遠藤らの証言が一部黙して答えなかつたり、記憶を失つたり、検察官調書の記載内容あるいは証言の内容自体前後食い違う点が見られるが、一般に証人の証言は日時の経過に伴う記憶の変容によりその細部についてまでも前後必ずしも一致するとはかぎらず、むしろ前後に差異、食い違いの生じることは日常経験するところであるが、<証拠>によれば、本件においても右各証言は、現認時である昭和五一年七月一九日より少なくとも半年以上経過した後になされたもので、しかも裁判官の交替に伴い第六回公判において再度尋問されるなどしていて、その日時の経過に照らしてみればある程度証人の記憶の細部に変容を来たすことがあるのもまたやむをえないところであつて、これにより証言全体の信憑性が直ちに損なわれるということはできない。そして、何よりも右各証人らは目撃車が他車に比し目立つあずき色であることに着目し、比較的詳細にかつ確信をもつて原告車が転回したことを証言しているのであつて、これに対し前記黒沢証言以外に原告の弁明を証するに足りる新たな証拠もあらわれなかつたのであるから、立会検察官が違反車を原告車と同一であると判断して公訴を追行することはまことに合理的根拠を有するものといわなければならない。
なお、原告は立会検察官が黒沢の検察官調書を故意にその存在を秘匿した旨主張するが、右調書は前記認定のとおりその内容自体曖昧であり、原告の無罪を証明するに足りる決定的証拠であるとは認めがたく、かつ、現認警察官の供述に照らして右の検察官調書の信憑性を疑うことは本件においては前示のとおり合理性を有するものと考えられる以上、右調書の証拠力からして公判に提出しないことも十分首肯しうるところであつて、故意にその存在を秘匿したと推認することはできない。
また、原告は立会検察官が冒頭陳述において原告車をニツサングロリアと誤つて特定した旨主張するが、そのことからただちに当該検察官の公訴追行が合理的根拠を欠くものとすることはできない。
(四) ところで、<証拠>によれば、東京簡易裁判所が本件につき原告を無罪とした理由は、要するに、現認警察官の供述には疑問点が多く信憑性がないのに比し、黒沢の供述は信頼度が高く、本件公訴事実につき合理的な疑いをさしはさむ余地のない程度に犯罪の証明があつたとは言えないというものである。しかしながら、本件が微妙な事実認定の困難さを伴うことは右判決も是認するところであつて、真実、原告車は直進して来たものであつたとしても、本件起訴当時に収集されていた前記各証拠のもとで起訴検察官としては当然に、原告車が直進したとの判断に達し得たとすることはできないのみならず、かえつて、すでに説示してきたところより明らかなとおり、起訴検察官が本件公訴事実につき有罪の裁判を得られるとの心証に達したとしても、これを不合理なものと断ずることはできない。また、立会検察官についても前示のとおり公訴追行過程にあらわれた証拠を勘案しても、なお有罪の裁判を得られるとの心証に達することが合理的根拠を欠くということはできない。
したがつて、担当検察官らの本件起訴及びこれに基づく公訴の追行が違法であるとすることはできない。
(宇野栄一郎 榎本克巳 池田辰夫)